過去になるその瞬間を記録

軌跡

日常の記録

ルールを守る意味とは

赤信号は常識的に渡らない。とても当たり前。

でもやっぱり人が多い所だと誰かが渡るとみんな渡る。人がやってようが間違ってる事は間違ってる。そこになんの間違いもない。

 

でも守る、守らないで誰かが得する、ましてや自分が得することはない。わざわざ褒められることでもない。常識だから。

そして違反すれば必ず注意されるわけではない。

守らなくてもいい選択がある。

 

おかしいいけどなら何故ルールは守る必要があるのだろうかと考える。

 

今日電話しながらの車の男性が赤信号なのに発進した。轢かれるかと思った。赤信号で止まっていたので青になってもすぐに動けなかったのが幸いした。無視してたら事故ってた。

 

法というものは権力で人を強制的に裁くもの。社会秩序の維持を保つ為に。

 

所謂、法を守るという事は法を守らない人から自らを守るためにあるのかもしれない。

自分の身は自分で守る。は当たり前で法を守る事は大事な人の様々なものを守る事でもあるからルールは常識だが守る。守れる為に余裕を常に持ち続けたい。

 

自分を愛する事の本当の意味

 自分を愛するという事は 自分を見つめ自分を理解しようとし、反省しそして認めるという事だと思う。

 自分を甘やかす、ナルシストになるという事は自分の事だけ考え欠点を見ず長所を過大評価するということ。とにかく自分大事。

 

大きな違いは  自分>自分以外の人間  という関係式が必然と出来ていること。

 

 

そして自分を愛することには少なからず自分の長所を評価すること(若干ナルシ)が大事だと思う。客観的に。

 

でも間違ってはいけないのは自分は周りの人間と比べて評価されるのではない

それぞれが見方も考え方も違う、一人に対して感じる印象が異なるように。他人は自分を構成する材料ではない対等な意識を持つことがとてもとても大事だと思う。

 

 

 

そしてこの自分を愛する姿勢は自分が幸せになることに繋がってる気がする。

 

人を思う気持ちが優しくなる

 

そして自分がわかる事により、沢山の本当の優しさに気づける

 

気づいて段々人を信じれる。そして疑う事を忘れれば世界も明るく見える。

 

自分が信じることで相手も私を信じる

 

相手も幸せになる。信じる気持ちほど相手を支えるものはない。

 

相手が幸せなら私も嬉しい。 幸せ。

 

 

 

 

 

 

彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」

中学時代の部活ノートを改めてみた。何故下克上ができたのか考えてみて、ただ私が好きだから努力して掴めたものではないことに気づいて今更驚いている。

 

あの頃は家族との会話もなく好きも嫌いもなくただ何にも感じない、流れに動かされてる生きてる人形だった。だからルールを守る必要性もわからないかなり危ない人だったな。

 

部活ノートも出さない、出す必要も感じてなくてすっごい嫌われてた笑 だけど無理やりでもノートを書かされて自分、他人を強制的に見て気づいて考えることにより少しずつ階段をのぼって成長して、結果自分の中で成功を収められたんだなって感じる。

 

 

 

まず自分がなぜこうなのか、こうしたのか、反省点はどこか、次はどうするか。自分を深く知る事が何よりも成長する上で大事なことだと思う。

そこから目標にむかってその目標を知り対策を考えて行動に移す。まずは何より現状突破のためには欠かせないのがこの二つのことなのかもしれない。

毎日部活ノートならぬ📔?ノートをつけていこう。

自由という名の絶壁

自由とはなんとも言えないほど甘美で優雅な言葉だと思う。自分の名にあるのが嬉しい。

でも怖い。かなり怖い。

自由だから自ら全てを管理し遂行しなければならない。そしてそれをするのもしないのも自らの自由。支えるのも落とすものもないなんて無ほど怖いものはない。

 

簡単に堕ちていける。そして上に行くのに阻むものもない。

 

まずは自由である環境に否応なしにいる。そしてその不安と葛藤の毎日に慣れる。

 

そしたら解決策が見つかるのではないか。かなり生活が楽になるかな。